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グミ・チョコレート・パイン限定版 [DVD]
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フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | 大森南朋, 石田卓也, 黒川芽以, マギー, 高橋ひとみ, 山崎一, 甲本雅裕, ケラリーノ・サンドロヴィッチ, 犬山イヌコ, 柄本佑, 金井勇太, 森岡 龍 |
稼働時間 | 2 時間 7 分 |
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商品の説明
脚本・監督:ケラリーノ・サンドロヴィッチ×原作:大槻ケンヂ×テーマ曲:電気グルーヴ
それぞれの道を行くKERA・大槻・電気が集結!
俺、大橋賢三(大森南朋)は会社をリストラされて久しぶりに実家に帰ってきた。
さえない気持ちで実家に届いていた手紙をひっくり返した俺は、差出人に“山口美甘子”の名前を発見する。
高校時代、死ぬほど憧れたあの子。そしてある日忽然と消えたクラス1の美女。
開封すると、そこにはたった一行、「あなたのせいなのだから」。戸惑う俺。
高校時代の友人に電話を掛けた。しかし、再会したカワボン(マギー)から山口美甘子(黒川芽以)は死んだと知らされ、俺のショックは深まる。
しかも、自殺!どうして? もう一度俺は手紙を見つめた。
「あなたのせいなのだから」。
もっと事情を知りたくてタクオ(甲本雅裕)にも会う俺は、次第にあの頃の俺(石田卓也)に戻っていく・・・
(C)2007「グミ・チョコレート・パイン」製作委員会
■出演者
石田卓也・黒川芽以・柄本佑・金井勇太・森岡 龍
マギー・甲本雅裕・大森南朋・山崎一・高橋ひとみ・犬山イヌコ
■特典
【Disc1:オーディオコメンタリ(A:KERA監督×大槻ケンヂ / B:石田卓也×黒川芽以) / TV-SPOT / 予告篇 / 特報】
【Disc2:未公開シーン集(10分) / メイキング(45分) / KERA監督の秘蔵映像(5分)】
撮影済生フィルム片入りブックレット(48P)(封入特典)
江口寿史特製描き下ろしデジパック仕様
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 19.6 x 14.4 x 2.4 cm; 399.16 g
- EAN : 4560292512187
- 監督 : ケラリーノ・サンドロヴィッチ
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 2 時間 7 分
- 発売日 : 2008/6/20
- 出演 : 石田卓也, 黒川芽以, 大森南朋, 柄本佑, 森岡 龍
- 販売元 : CCRE
- ASIN : B0016ITNJO
- ディスク枚数 : 2
- Amazon 売れ筋ランキング: - 82,782位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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完璧に、男のこのための青春映画。
この映画の舞台となるのは現代、高校生だった頃の過去。
正直、時代設定は二十代のボクにはあまりよくわかりませんでした。
でもALWAYSのように、その頃の空気感が非常によく出ていて、
ボクよりも一回り・二回り上の世代の人が見たら、ノスタルジーを感じるんだろうな、と思いました。
ボクは、大槻ケンヂの大ファンで、映像化された作品や関わった作品はすべて見ていますが
その中では一番好きな映像作品・映画かな、って気がします
ただラストのの山口美甘子の手紙は原作を読んだものとしては救われた気がする。
端から見れば情けない青春かもしれない、恥ずかしい青春かもしれない。でもあの瞬間、あの手紙と8ミリフィルムがあるかないかでは大きく物語は変わっていた。
ありがとう、ケラさん。あなたのせいで僕は救われた気がします。
とても印象的な場面です。
組織や社会に所属することは、どんな建前を並べてもやっぱり身分関係に身を置くこと。
学級なんて、その存在自体が自己目的化した組織だから、強烈な身分関係がむき出しになってしまう。
学級はグミチョコレートパインの縮図なのかもしれません。
主人公が伝えたかった言葉の代わりに伝えた最後の言葉こそ、「山口美甘子」への気持ちなのだと、私は思います。
常に先を行く憧れの人、山口はすでに死亡しています(この設定がストーリーの最初からでてきます)。
我々が生きていく上でなかなか抜け出せないグミチョコレートパインの価値観。でも、主人公にとってその象徴である人物はその価値観から離脱してしまっているんですね。
青春時代の思い出なんかじゃなくて、主人公の迷いや悩みは生きている「今の自分」なんです。
面白い映画でした。
主演の石田くんもまだ無名?の頃だったと思いますが、とても演技が上手だなと思いました。
まさしく俺じゃないか(苦笑)。
普通に青春を発散できず、自分は特別と錯覚し周りを見下しながら中二病に罹患。
スポーツや勉強では勝てないから映画、バンドとかの方面に興味が向かうんだ。
映画とバンドって言う時点で一貫性がないのだが。
しかもギャグのセンスがあると思い込んでいるおしるこの部分なんかはもう痛々しくて見てられなかった。
最後も勇気を出せずに告白できない。ヘタレそのものである。
電話の前で話す練習している姿を見て、すでに母親の視点に立っている自分がいて当たり前だが、もう戻れないのだなあと。
恥ずかしながら私は随所で涙を流してしまいました。
あの日の自分がリアルに表現されすぎているからだったのか。
もう一度高校をやり直したい。でも無理だ。
わが青春に悔いありまくり、気付いてしまえばもう戻ることができなくなってしまったオッサンには心をえぐられるような痛すぎる映画になっていると思う。
「地味な映画です」と冒頭で宣言してしまうのは大いに結構ですが、
地味なら地味なりのinterestingへの拘りが欲しかったです。
この作品、ひたすら思春期文系男子の内的葛藤がメインなので、
どうしても物語的には平坦になってしまう分、役者の力量が要だったように思います。
率直に言うと、主人公・ケンゾー役の石田卓也くんには荷が重かったですね。
モノローグが多い分、滑舌や発声などに必要以上に課題を感じました。
また、カッコワルイ主人公を演じる為に12kgもの“増量”を達成しプロ根性を見せた彼ですが、
ヒロイン・山口美甘子役の黒川芽衣さんもぽっちゃりということで、絵的にちょっと残念な感じに
なってしまったことが惜しい。
結果的に石田くんの頑張りがさほど活かされなかった感。
プロデューサー(配役)頑張れよ!という気持ちになりました。
メガホンをとったのは、舞台の世界では言わずと知れたケラ氏ですが、総じて舞台的。
こと作品の肝である「笑い」の演出方法が舞台的な感じがして、「これ舞台だったら笑えるんだろうな〜」
と口惜しがりつつの鑑賞になりました。
何がどうとか具体的に指摘することは難しいのですが、全ての笑いのシーンから絶妙に“小劇場”を感じました。
小ネタの消化不良感が、この作品の致命傷になったのでは...
(笑いに関してはあくまで個人的な意見です)
特筆すべきはその“主題”です。
原作がしっかりしている作品は、どんな映像表現であっても「教訓」が伝わります。本作も例に漏れず。
思春期特有の自己実現のジレンマを見事に言葉で表現しきっています。
「何かになりたくて、でも何にもなれない葛藤」というのは誰しもが経験する(した)普遍的なイニシエーションであり、
青春時代を過ぎてもずっと心に残存するものではないでしょうか。
私自身、作中のケンゾーの言葉に何度も図星をつかれながらも、
「それでもいいじゃん!」と胸を張れる読後感に救われました。
器用な中年サブカル文化人”として、相変らずの多彩ぶりを発揮している大槻ケンヂによる原作(半自伝
的青春小説)を、1980年代のインディーズ・ロック・ブーム期に(一部で)隆盛を誇ったレーベル
「ナゴムレコード」の総帥(※&バンド「有頂天」リーダー)から、劇団「ナイロン100%」(前身は
「劇団健康」)を主宰する劇作家&俳優&演出家に転身し、1999年には岸田國士戯曲賞まで受賞して
“演劇界でもすっかり偉い人”になったケラリーノ・サンドロヴィッチが監督・脚本を担当して映像化した
青春映画。
脇役のキャストや音楽担当に、かつてのナゴムレコード関係筋~ナイロン100%関係筋までの
“ケラ&大槻の師弟関係人脈”が集結した様子は、さしずめ……
「'80年代に青春を過ごした元・自閉系アングラ・サブカル少年少女のオジサン&オバサンによる
大同窓会」といった趣き・・・。
筋肉少女帯や電気グルーブの一部の楽曲や大槻ケンヂ作のエッセイ等を、ほんの数点読み&聴き
している程度で、演劇の世界にもあまり関心のない私は、“'80年代のナゴム”にも、ケラリーノ・
サンドロビッチの諸活動にも殆ど思い入れはないので、当初は、わりと醒めた目で観るつもりだった。
しかし、劇中で描かれた主人公・ケンゾーが生きる1986年の“オナニーまみれの思春期風景”は、
私自身が過ごしたソレと1~2年のズレはあるものの、ほぼ同時代。 同じ時代を「モテナい童貞少年」
として生きた身として「ちったぁ、身に詰まされる思い出に浸りながら観れるかな?」と思っていたら
……これが……、よく事情が分っている分、細かい設定に「?それは違うぞー!」と、
思わずツッコミを入れたくなる部分がチラホラと出てくる出てくる……。
まず、「おニャン子クラブ隆盛期」と「小学館刊の男性誌『GORO』が、
「童貞青少年の主要ズリネタだった時期」は、シンクロしていない(笑)
『GORO』の“ズリネタ”最盛期は、もう4~5年前、1981~82年頃である。(※'86年にも『GORO』は
刊行されていたが、この手の男性誌はバブル期前後から需要が多様化して低迷していたし、時代は既に
AV隆盛期だった)
ケラ氏や大槻ケンヂ氏は確か1966~67年辺りの生まれだったと思うが、1986年には、お二人とも
プロデビュー後、既に“ナゴム・ギャルを喰いまくっていたオトナ”だったはず(笑)で、この辺りの
設定で微妙に「ブレ」が出ているのは、自分たちが“頻繁にコイていた時代の主要ズリネタ”への
「強い思い入れゆえ」だとしても、詰めはチト甘い。
また、(細かい突っ込みになるが)1986年に 『ニューヨーク1997』や『狂い咲きサンダーロード』を、
わざわざ名画座で、それも昼飯を抜いてまで観ていた映画少年が居たら、
そいつは「家にテレビがないの?」と同情されることうけあいである。
1986年には、両作品とも既に腐るほど深夜テレビで放送されていたし、友人タクオ(電器屋の息子)の部屋
にはビデオ・デッキもある。という設定なのだから、レンタル・ビデオ屋で借りて観ればよい話だ。
(※それでも、「あえてスクリーンで観る」っつーんなら、しょうがないけどさ)
その他の部分では、主役ケンゾー役の石田卓也クンに体重を10kg増量させ、“裾二重折り&Tシャツ
タックインでリーバイスを穿かせる”という役作りをさせてみたり、ケンゾーが憧れるヒロイン・
山口美甘子役を、“アノ時代の美少女風に眉毛が濃くて首が短い丸顔”の黒川芽以が演じていたり
(※ヘアスタイルもちゃんとアノ時代の女子になっている)、陰気なクラスメイトで、その実、
エレキギターやエフェクター類を沢山持っているギター少年の山之上(柄本佑)の部屋が、
ちゃんと“親が金持ちなドラ息子の部屋”になっていたりと、それなりに時代考証に気を遣っている
ように見えるのに、笑いを取りにきたと思われる肝心の部分での上記のような“詰めの甘さ”は残念。
演劇と違って映画は、「細部にこそ神が宿り給う」のですぞ!ケラリーノ・サンドロビッチさん!
でもまあ………こんなツッコミ入れながらも……
“自室オナニーを母親が発見する”という“ベタな”シーンでは、
結局、笑わせられてたんだけどね(笑)。